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1967年に映画化 【Ako laban sa lipunan (1967)】私は社会に反してる
この女性こそフィリピンのチョップチョップレディーのオリジナルである。1967年この女性のバラバラ遺体が発見される
彼女の名前ルシラ・ラル
パンパンガからの上京
1961年にパンパンガを離れ、彼女はマニラに向かい警察で許可を得て、ウエイトレスとして仕事始める。その後、警察官のアニアノ・ベラと出会う。彼は既婚男性だったが内縁関になる。フィリピンは離婚の概念があまりなく結婚はするものの、離婚してないケースが多々あった。クリスチャンと言う理由もよく聞く。離婚に莫大な金がかかるともいう。その後アニアノ・ベラとルシア・ラルは子供授かりました。彼女はかなり才覚があったようで、マニラでサロンとナイトクラブを経営するまでになっていました。仕事とお金を手にした彼女は
自分が殺害されるとは思いもしなかっただろう。
事件の概要
1967年5月28日、マラボン通りのゴミ箱に彼女の足が発見されます。次の日エピファニオデロスサントスアベニュー沿いの空き地で、頭と脚のない胴体が見つかる。彼女は死亡時に妊娠していたことが明らかになっている。警察が捜査すると4人のルシラと関係を持ってる男が浮上する。スゲーな‼
- アニアノ・ベラ 内縁の夫
- フロランテ・レロス 19歳のウエイター
- ホセ・ルイス・サンティアーノ 28歳歯科学生
- 正体不明の印刷会社の幹部
最初に逮捕されたのはフロランテ・レロス、レロスは情事のもつれで殺害したと思われたが、レロスには彼女を殺す理由がなかった。「彼女は私に凄く親切だった」と親密な関係を持っていたことを認めた。彼にはアリバイがあった。それを証言してくれる人物が出現し彼は釈放された。しかし、レロスは釈放後、殺害されるのを恐れ警察から出るのを拒否している。次にラルがレロス抱きしめているのをベラが見たとき、嫉妬の念を抱いてレロスを殴打したこと見たと言う情報が入ったが犯罪を突き止めるのに十分な証拠を見つけることができませんでした。警察は捜査を続けていくことで犯人像を特定しだした。肉屋、外科医、または少なくとも医学部の学生などのナイフの使用に精通している人間、胴体と脚を処分するために自家用車を使用、遺体は冷凍庫に保管されていた、知的である種の専門家、裕福な人。この事から28歳の歯科学生サンティアノが浮上し、犯行を自白した。しかし、彼は数日後、自白を撤回し逆に無罪を主張した。実際には3人の男性によって犯された殺人の証人であると述べた。銃を向けて彼を人質にした間、2人の男がルシラを殺したと言った。翌朝、4人目の男が現れ、彼の部屋に証拠の血をつけた。沈黙を守るようにとメモを受け取ったと言われている。警察に拘束されていたとき、彼を開放しろと爆弾脅迫も受けている。結局、彼も証拠不十分で釈放。最後に4番目のルシラの恋人とも言われる印刷会社の幹部がいた。彼はどの報告でも名前を挙げられなかったが、ルシラの胴体の下で見つかった、新聞の包装に使用された段ボールの材料が彼の物と疑われただけだった。この謎の男はアリバイを持っているようでこれ以上探求されませんでした。この事件は、このまま迷宮入りし、今でも犯人は特定されてません。
フィリピーナが喜ぶお土産…
映画化
この事件をモデルにした映画が1967年に「アコ・ラバン・サ・リプナン」というタイトル上映された。この映画は政策に4日しかかからず、内容がグロテスクだったため、かなりの批判をされたと当時の報道が伝えている。主演女優も怖くて眠れなかったと言っている。
この時代は、科学捜査が乏しくサンティアノの部屋で、血痕やかみそりなど何点かの証拠が見つかったが、決定的な証拠には結びつかなかった。妊娠していたと言ってたが誰が父親かも明らかにしていない。当時の新聞ではアラブ・イスラエル戦争の記事をうわまったと報道している。現代の捜査能力ならすぐに犯人を特定できたのではないかと思う。レロスへのベラの嫉妬、サンティアノの部屋に残る血痕、自白が虚言でホントは証人、疑わしいはいくつもあるが今となっては捜査もしないだろう。
彼女が初代チョップチョップレデイである。
ロイド・バクトン
アントニオ・サンチェス
マーク・ディゾン
レナート・レネス
ルシラ・ラル
エルサ・カスティーロ
マリクリス・シラソン
ランパノ・ジェリコ・モリ
ニダ・ブランカ
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