〜開発と独裁、栄光と転落の軌跡〜
はじめに
20世紀後半のフィリピンを語る上で、フェルディナンド・マルコスの存在は避けて通れません。彼は1965年から1986年まで20年以上にわたってフィリピン大統領を務めた、まさに“強権の象徴”とも言える人物です。
国を豊かにするために道路や病院、学校を建設し、近代国家への一歩を進めた一方で、戒厳令の名の下に言論の自由を制限し、多くの人々を抑圧しました。
📷 若き日のマルコス
マルコスの登場:若き日の秀才
1917年、北部イロコス・ノルテ州に生まれたマルコスは、弁護士として非常に優秀な成績を収め、第二次世界大戦では英雄的な経歴を自称。やがて政界に進出し、1965年には大統領に当選しました。
彼のスローガン「This nation can be great again」は、国民に大きな希望を与えました。
経済開発とインフラ投資
マルコスは積極的なインフラ投資を行い、道路、橋、学校、病院などを次々に建設。経済成長の一端を担い、都市部では「マルコス景気」と呼ばれる時期もありました。
しかし、その裏では財政赤字の拡大や海外債務の増加も始まっていました。
1972年:戒厳令の布告
1972年、マルコスは「共産主義勢力の拡大」などを理由に戒厳令(マルシャル・ロー)を布告し、事実上の独裁体制へと移行します。
📷 戒厳令発令時の記者会見
報道は統制され、野党政治家や活動家が次々に逮捕。恐怖と沈黙の時代が幕を開けました。
ファーストレディ、イメルダ・マルコスの影響力
イメルダ・マルコスはファッションと豪華な暮らしぶりで注目を集めました。特に「3,000足以上の靴を所有していた」とされるコレクションは、世界的に有名です。
📷 靴に囲まれたイメルダ・マルコス
政治的にも積極的に関与し、マルコス政権の「美しい顔」として各国を訪問しました。
ピープル・パワー革命と政権の崩壊
1983年、政敵ベニグノ・アキノ・ジュニアが暗殺され、国民の怒りが爆発。1986年には選挙の不正をきっかけに、「ピープル・パワー革命」が起こります。
📷 EDSAに集まる民衆
数百万の人々がマニラのEDSA通りに集まり、非暴力の抗議活動でマルコス政権を崩壊させました。
ハワイへの亡命とその後
1986年、マルコス一家はアメリカ政府の手配によりハワイへ亡命。その様子は世界中のメディアに取り上げられました。
📷 空港に到着するマルコス一家
1989年、彼はハワイで死去。後に遺体はフィリピンへ戻され、長らく冷凍保存された後に英雄墓地へ埋葬されました。
マルコス家の復権:ボンボン・マルコスの大統領就任
2022年、フェルディナンド・“ボンボン”・マルコスが第17代フィリピン大統領に就任。父の遺産を「再評価」する動きが強まり、若い世代の間ではマルコス家への支持も見られるようになっています。
ボンボン・マルコス
年表で見るマルコス政権の歩み
年 | 出来事 |
---|---|
1917 | フィリピン北部に誕生 |
1965 | 第10代大統領に当選 |
1972 | 戒厳令を宣言し独裁体制へ移行 |
1981 | 戒厳令を形式的に解除 |
1983 | アキノ暗殺事件が発生 |
1986 | ピープル・パワー革命で失脚、亡命 |
1989 | ハワイで死去 |
2022 | 息子・ボンボンが大統領に就任 |
おわりに
フェルディナンド・マルコスという人物は、功と罪が極端に分かれる稀有な政治家です。彼の時代から学べることは少なくありません。
民主主義、報道の自由、経済発展、そして国民の力――歴史を振り返り、私たちは何を未来に活かせるのか。
この問いを胸に、今を生きる私たちもまた、歴史の一部を紡いでいます。
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